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ある少女のこと〜見えざる色の肖像が生まれた日〜

ある少女のこと〜見えざる色の肖像が生まれた日〜

 

私の内なる世界の住人のある少女は目がまったく見えません。

 

生まれながらにして、光を奪われているのです。

 

 

しかしながら、彼女は三次元で構成されたこの世界をとても有意義に感じ取ることができます。

 

音楽的に、あるいは鋭く澄んだ感性になぞらえて、あらゆる事柄を頭のなかで形象化するのです。

 

 

 

空の重さって?光が放つサウンドって?

 

 

 

普段は流行歌を口ずさむ程度であっても、彼女はとてもすぐれた音楽家と言えるでしょう。

 

 

見えざる人が実に自由に、本質的に世界をとらえ、健常な視覚を持つ人々が盲目的な世界に閉じ込められるのは、ありそうな話です。

 

 

 

 

私たちは何を見て、何をとらえて生きるのでしょうか。

 

 

 

 

例えば彼女の親しい人が、ある瞬間からけものへと姿が変わり、言葉を失い、声が醜く歪んでしまったとしても、

 

目の前にいる恐ろしいけものを、親しいその人と瞬時に見抜くのです。

 

 

 

それは、何らかの不可思議な力がこの世に存在するのだというほかありません。

 

 

 

 

それぞれの色のイメージをひとつの生体としてとらえ、具象化すること。

 

 

それがこのモデルの意匠設計のはじまりでした。

 

 

視覚的な色を表面に施すのではなく、色をフォルムとして表現したいのです。

 

 

 

 

青の輪郭とは?黄色の質感とは?

 

など、想像しえないイメージに右往左往した一か月。

 

 

 

色彩とはひとつの現象ですから、非物質的なつかみどころのなさは私にとってとても困難なものでした。

 

 

 

 

 

真に慈しむべきは形なきものの手ざわりだ。

 

 

金属の塊から気の向くままに削り出せば、やがて命はおどりだす。

 

 

 

 

白は愛らしい純朴そのものだ。

 

 

黒はすべてを飲み込む引力だ。

 

 

赤は熱にのたまう揺らめきだ。

 

 

黄は蜜がしたたる静物だ。

 

 

緑は森に刻まれた封印だ。

 

 

青は空に架かる背骨だ。

 

 

 

 

指輪はあなたを育む揺り籠であれ。

 

 

 

耳飾りは大切なものを受け取る受信器であれ。

 

 

 

と、願掛けしました。

 

 

 

 

 

 

見えざる色の肖像、ぜひご覧ください。

 

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