マトハヅレのこと

マトハヅレについて
マトハヅレという名前は、「的の外に存在するであろう世界」を表現したいという想いから生まれました。
私たちが考える『的』とは、既成概念や当たり前になった価値観です。
その外側には、忘れられた言葉、まだ形を持たない感覚、光の当たりにくい日常の美しさがあります。
私たちは、目に見えないもの、まだ形になっていないものに、装身具という小さな身体を与えるということを試みています。
密やかに変転していく世界の中で、
よく考え、よく学び、よく遊び、よく転び、よく働くこと。
与えられた有用な時間のなかで、笑いと涙をこころに据えて、進歩的な調和よりも質朴と混沌を愛し、おもしろい仕事をすること。
「斯くあるべき」というたくさんの見えない的をかいくぐり、それを打ち抜かんとする爛熟の矢すらもかなぐり捨てたとき、雑木林の内奥からマトハヅレはやってくる。
わたしたちは、日常にどやされ、わからないことだらけの時代に右往左往し、考えたそばからすぐにさまざまなことを失念してしまう。
マトハヅレという名をもってこの事を心にとどめておきたいと思っています。
ものづくりについて
ものづくりとは当然のことながら、世の中にものをひとつずつ生み、増やしていくことにほかなりません。
それならば作り手たる人々はやはりそのものたちの性質や行く末を、少なくとも想像し思い悩むことが求められるはずです。
あらゆる観点において、そのものにはどのような価値があるのか。
資本主義国家の営為がもたらす、貧ずる国々に巻き起こる悪事に与していないか。
わずかな時間でゴミへと変わってしまうものを生産していないか。
極まればものなど生み出すべきではないということになるけれど、私たちは作りつづけています。作りたい、表現したいから作っている。
だけどどれだけ思いをはせても、「これをやればこの世界のためになる」と言い切れる決定的な人間活動はなさそうです。
多くを消費することなく、小さくとも生きた価値を生み出す。
物質飽和時代の路頭に迷った現代人が、歩みをすすめるか、あるいは立ち戻るべき原点への手がかりはどこにあるのだろう。
かつて英国の詩人の言った「質素なる暮らし、高遠なる思索」を胸にマトハヅレのものづくりを考えます。
電気に代表されるエネルギーインフラに極力頼らず(現にマトハヅレでは仕上げや精密加工に使う回転工具を手作業に切り替えれば、例え停電になってもローソクの明かりのもとで装身具を作ることができます。)、物に触れることなく様々なモデル構築や編集ができるデジタルテクノロジーからそれなりの距離をとりつつ、汗まみれのポンコツが雨の日も、風の日も人力で足踏みふいごを吹き、糸鋸を動かし、トンカチを振るいます。
人間が生命を燃やして労するということに、クラフトマンシップの根源があると信じている。
装身具にあっては、威厳に満ちているもの、意味もなく豪奢なもの、親しみの生まれないものは作りたくない。
人の心の奥深くにあるスピリットに語りかけるものを作りたい。
自然のなかから抽出されたマテリアルである金属は正しいかたちに修復し、磨きをかければあらゆる経年劣化を再生できます。
身体の変化に合わせて、サイズや造りをなぞらえることで愛する生物のように寄り添ってくれます。
使い古されてもよく手入れされたものは美しくかがやき、品格ある味わいを放ちつづけます。
私たちはものを無くすことはできないけどあまりたくさん持たずに、いくつかの気に入りのものを長く使いつづけることはきっと望ましいことなのだと思っています。
matohaureの歩み
2013年
東京にてmatohadureを始める。
意匠・設計・制作・販売までを自らの手で行いながら、装身具を通して、目に見えないものを形にする表現を模索する。
2014年
沖縄県宮古島へ移住。
自然の中で暮らしながら制作を続け、オンラインや対面で作品を届ける。
2016年
東京へ戻り、制作活動を続ける。
2020年
東京都東久留米に工房を構える。
目に見えない大切なもの、まだ形を持たないものを装身具として表現することを探求し続けている。
デザイン・制作
鈴木真人
1980年 東京都生まれ
デザイン
鈴木由美子
1979年 広島県生まれ