3タが来ルのこと~わたしと3タ~
ある年からサンタクロースが僕のところに来なくなった。穏やかに晴れたクリスマスの朝は、色彩に乏しく、いつもより寒かった。隣の家の柿をむしゃむしゃやっているでっぷりとしたカラスの眼が、残念でしたと哀悼の意を示す。僕はこどもではなくなった。あの優しいひげのおじさんの贈りものはもうもらえないのだ。
二学期最後の日の足取りは重かった。有刺鉄線に囲われた草むらに投棄された家電ゴミ、灰色の空を覆う無粋に絡み合う電線に、乱開発を象徴するようなひん曲がって居並ぶ電信柱。モミの木立をすり抜けるように疾駆するあのコカ・コーラの真っ赤な巨大トラックは、道幅が狭すぎて引き返し、かくも悲惨な渋滞に飲まれるだろう。誠実な仕事をするトナカイも排気ガスでむせかえる。さらばサンタクロース。教会の鐘の音ひびく、美しい雪国とはほど遠いこの町の風景に、心底嫌気が差した。
その日から僕は自由帳に、僕だけのサンタクロースを描きはじめた。悲しみに暮れた僕をたのしませるため、3人がかりでやってくる。サンタだけに。カンタベリーのような、コッツウォルズのような、あるいは清貧を地で行くような、中世の深い信仰に満ちた美しい町から。
クリスマスと言えば、マタイ伝にある東方の三博士が想起される。財宝と何やら不可思議な妙薬を携えて、呼んでもないのに星にみちびかれて礼拝に訪れる。異教の使徒というところもいい。特定の時代や文化圏を感じさせない出で立ち。そうすると東洋風幻想譚のような舞台と生物多様性の香りが立ちのぼる。こうして彼らは自由帳のなかで、空っぽになったサンタクロースと融合する。
それでは3タは僕に何をもたらすのか。見えるものと見えないものがあるとすれば後者だろう。澄んだ心と透徹したまなざしであれば見えるプレゼント(見えない)、及び空気中に何かを持っているかのようなジェスチャー。そんなことでは僕は納得できない。僕が欲しいのは、この先の人生に二度と訪れることがなくなった、サンタクロースへの失意と憧憬を手がかりに、新たな道しるべを見い出せるようなひとつの福音だ。そうして僕は毎年彼らを待ち望むことになる。
モチーフである三角形は、彼らの分かちがたく結びついた三位一体の関係性と、来訪を望むものが鳴らす呼び鈴をあらわす。
砂漠のように乾いたこころに、深々と白くなる美しい雪国を。
俗世から逃れたいひとに、人里離れた隠れ家を。
錆び付き動かなくなってしまった身体に、再び在りし日の躍動を。
世界にひとりきりかと思うほどの孤独に、あなたを生んだ祖先の系譜を。
時代に降りしきる圧政に、みんなで手をつなぎ結束のダンスを。
それは祝福であり、呪いでもある。マトハヅレにやってくるサンタクロースはリンタ、シロタ、ケムタからなる北風のようなひとりの精霊。それはあなたのこころにも。
- Tags: 雑記
0 コメント